タグ、キーワード、グループ、コミュニティ、そしてカテゴリ
引き続き、カテゴリ構想とコミュニティ構想の関連で。
重複している部分もあり、相変わらずまとまってないのですが。
私の場合は、はてな全サービスから横断的に情報を集めて、趣味や興味のカテゴリに分けて提示するコミュニティページの新設(はてな『映画』コミュとか、はてな『グルメ』コミュとか)。
id:facetさんの場合は、はてな全サービスから横断的にメタデータを集めて、それを多角的かつ動的に管理できる新サービス。
ここでGadaraさんが仰っているように、「全サービスから横断的に情報を集めて、趣味や興味のカテゴリに分けて提示」という部分では、全く同じなんですよね。
はてなダイアリーキーワードだけじゃなく、*さらに* ダイアリータイトルの[カテゴリ]や、ブクマの[タグ]、その他のサービスの「カテゴリ」で簡単につながることができれば面白いのになあ。それが私の構想ですから。
ところで、今私が一番進んでいると思っているサービスがFlickrなんですけど、あれって、いろんなメタデータがあって、それでつながることができるんですけど、それが、管理とかという硬い感じじゃなくて、自然に気軽に使えるんですよね…。
メタデータのうちには、タグも含まれているのですが、それだけじゃなくて、撮影時間とか、アップロード時間、撮影機材、絞り、Geoタグを使えば場所、などなど。そんな風に、メタデータを使えば、いろんな面からつながることが出来る。また、はてなフォトライフだと「色」なんかでもつながることができますが、これも写真にメタデータがあるから出来るのですよね。こういうのもひっくるめて、私の言葉では「カテゴリ」だったんです。
カテゴライズというのは、まず、ある共通な部分に着目してそれを細分化することで分類するということですから、現在の、フォルダとかディレクトリで想起されるような、一次元的な階層の下に排他的に分類することではないはずなんです。
つまり、分類とは、ある体系を区切ることですが、その体系自体もすでに分類されたものですから、本質的に多次元的なんですよね。
たとえば、本のことだけを考えても、著者は誰か、ジャンルは何か、値段はいくら、文庫か新書か、紙の材質は何か、カバーイラストは誰、しおりの有無・種類、何時出版されたのか、第何版なのか、出版社はどこ、などなど。本当に多次元的な体系の下で分類できるわけです。
で、どの体系を使うのか、そのどのカテゴリに属しているのかを知りたいのか、これは全くTPOによるわけですから、一次元的な分類階層によるカテゴライズを採用してしまうと、結局は使えないものになってしまうはずです。
必要なのは多次元的な切り口からの大量のデータ(メタデータ)であり、それをTPOにあわせて簡単に見られるようにするためのインターフェースであるはずです。
# 実は、こういう多次元的な分類のことを指すのに「ファセット分類(faceted classification)」というコトバがあるみたいなのですが、なんか自分のことを言っているようで、照れくさいので使えないのです(^^; それはさておき。
またFlickrを例に取ると、ある写真があって、その写真をだれかが見て、ああ、これって同じような写真があったなあ、あ、そういえばあそこにも同じような写真が…というのに気づいて、それらに共通の性質を表す為にある特別なタグをつける。たとえば、"googleearth"。
http://www.flickr.com/photos/tags/googleearth/
それがタグとして沢山の人に使われだすと、それを起点として話題が弾み、コメントが活性化する。
これって、はてなでいうキーワードと同じ役割を果たしていると思うんですよね。で、もし、それがカテゴリ名だったら、カテゴリといってもいい。グループ名にもなり得るし、コミュニティ名にもなりうる。
結局、それがキーワードなのか、カテゴリなのか、グループ名なのか、コミュニティ名なのか、それって、どういう視点からそのコトバを捕らえるかという、その人の感性の問題であるだけだと思うのです。
コミュニケーションに重きをおくなら、そのコトバはコミュニティを代表するコトバでしょう。仲間意識を大切にするなら、それはグループ名かもしれません。もっと、無機質的な、話題というモノだと捕らえる人にとってはカテゴリ名と言ってもいい。
つまり、カテゴリという無機質的なものになるか、コミュニティという人のつながりに重点を置いたものになるか、これは、サービスのインターフェースが何処までカバーしているか、そして、それをどう使われるかの違いであって、本質的にはみんな同じだと思うのです。
そういう意味で、同じ方向かなと表現しました。
大事なことは、そのサービスがどこまで簡単に使え、かつ、どれだけ使い勝手がある柔軟なものなのかというところにあって、それが確保できていれば、それをカテゴリ的にもコミュティ的にも使えると思うのです(その良い例がFlickrかなと)。ま、そこが一番難しいわけですが。
ですから、タグというのは、それを実現するための一つの試みだったと思います。ただし、まだ十分ではなかった。それは、del.icio.usを見ていればわかります。tag bundle ができ、media support (system:filetype:mp3など)が出てきました。これがタグの限界の現れでもあるでしょう。
Gadaraさんが仰ったように、キーワードって、説明のあるタグみたいなもので、タグとキーワードは本質的にたぶん同じモノです。不幸にしてはてなキーワードは誤爆のために制限がきつくなってしまい、タグのような多様性が発揮できていないようなところもありますが、どちらも、コトバであり、フラットな構造をしていて、ユーザが自由に付けることができ、つながりを作るために存在しているという意味で、とても似ています*1。しかも、タグもキーワードも、どちらも結局、なんらかの別の工夫を加えないと使えない状態になってきている。
これは、たぶん、人間の認識の仕方と関係があって、タグ/キーワードというのがその一面しか表せていないからだと私は思っています。
では、何が足りないのか。
タギングというのは、名前付けに相当すると思ってます。あるモノゴトを抽象化して名前をつけることで、その他のモノゴトと区別出来るようになる。しかし、認識するときには、区別しているだけではなく、その区別したもの同士の間に、相関性がありますよね。あるコトバを想起すると、連鎖的に、いろんなコトが連想されますよね。それが上位概念だったり、下位概念だったり、類似概念、対立概念、はたまた思い出の歌、関連するシーン…、さまざまですが、何らかの関係があって、それが続けて想起される。その部分が足りないのではないでしょうか。
その連想を辿るための「つなぎ」が、Webでいうとリンクなのかなと思うのですが、リンクだけだと、なんか物足りないんですよね。
それで、キーワードの別レイヤーとしての「カテゴリ」というもの作って、それを介して間接的に繋がってやればどうかな、と考えました。
タグだと一層ですけど、それを二層にしてやったらどうか、と。
たとえば、キーワードのページにユーザがカテゴリを自由に付けておく。すると、どのキーワードとカテゴリがどのぐらいの相関関係があるのか、というデータがあつまります。また、エントリーを書いた時にカテゴリを付けたとします。すると、エントリー内の文章を形態素解析して特徴語(キーワード)を取り出してやれば、特徴語とカテゴリとの相関のデータも得られます。そして、それらを逆算すれば、あるカテゴリに対して相関の高いキーワードの一覧を得ることも出来る。そして、それが時間的にどう変化しているのかということもわかる。
こういうデータが集まってくると、今度は、あるエントリーを書いた時に[はてな]というカテゴリを付けたとすると、その[はてな]カテゴリと相関の強いキーワードだけが自動的にリンク化される、みたいなこともできるようになるのでしょう。
もし、同表記異義語があったとしても、より相関の強い方のキーワードの方へリンクを張ってやればよい。
そして、さらに、その相関度の閾値をユーザが決められるようしておけば、広くつながることも狭くつながる、TPOに応じて使い分けることもできるようになるのではないだろうかと考えました。
また、キーワードのページに、今のブクマのタグクラウドのような感じで関連カテゴリを表示しておけば、楽に関連カテゴリへと飛ぶことも出来たりもして、楽しそうですし。
逆に、カテゴリページには、関連キーワードクラウドやら、関連写真やら、関連RSSやら関連ブクマなどがあれば、いまばらばらになっているサービスを繋ぐ効果もありそうです。
こういう横断的なサービスを実現するためのものが「はてなカテゴリ」構想です。
実際は、はてなブックマークのタグを起点にしてやれば、既にこういうことは出来そうな気はしています。そういう意味では、やっぱり「はてなタグ」構想といってもいいかもしれません。
ただ、タグより、キーワードとの連携を重視しているので、カテゴリという用語を選んだということかもしれません。
*1:というか、コトバというもの自体が、コミュニケーションのために存在しているという意味で、コトバであるものは全て繋がるためのものでもあるともいえますが