続・はてブのコメント一覧は引用かどうか話、または、Web時代の引用とは

※これは、
http://beta.g.hatena.ne.jp/sugio/20051123
へのレスです。

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結局、はてブのエントリーページのユーザコメント欄が引用なのかどうかを日本語の「引用」の定義を元に考えること自体がおかしいという気がしてなりません。

また、英語のquoteが何を意味しているのかを考えるのでもなく、HTMLのquoteとは何を意味しているのか、すなわちWebにおける引用とは何かということを考える必要があると思いました。*1


神崎正英著「ユニバーサルHTML/XHTMLによると、(オンライン)ハイパーテキストとは、ネットワーク上で相互に自由自在に連結された、従来の書物や書籍の枠組みを超えたドキュメントのことであり、それまでの情報共有の大きな障害となっていた機種やシステムの違いを乗り越えるために、バーナーズ=リーがインターネットでコンピュータを結び、共通の約束に従って文書を公開して相互参照する仕組み、すなわち World Wide Web (WWW) を考えた、とあります。

つまり、環境に関わりなく情報を一貫して表現する文書記述方法として考えられたのがHTMLで、ユニバーサルな情報共有を実現するための仕組みとして考えられたのがWebであるということです。

ということは、HTMLでいうquote、つまり、ウェブにおける引用とは、「論じるための引用」ではなくて「情報共有のための引用」と言えるかもしれません。


つまり、Webのような動的な媒体での引用を考える場合は、従来の書籍などのような静的な媒体で確立されてきた引用のルールを基に語ることはできないんじゃないだろうか、という気がしてなりません。


結局、最も大事なことは、文化の発展に寄与すること、つまり、新しい価値を創ることであって、論によるか情報共有によるかは単なる手法の違いでしかないように思います。……理論的な展開が有用な時もあるし、偶然のひらめきを得られるような刺激的な組み合わせの方が良い時もある。どちらが良かったのかは、後になってみないと分からない。なのに、今までは論によるルールしか認められなかった。……「はてブ」、特にあのコメント一覧は、セレンディピティの塊のようなもので(^^;、思いっきり後者だと思うんですが、そちらの価値ももっと評価されてもいいんじゃないかなあと思うのです。


私は、価値創造のために最も大切なことは、まず、人間の連想力を伸ばす環境を整備することなんじゃないかなと考えているのですが、「次世代のインテルインサイドはデータだ」とも言われているように、今までのインテリによる理論的展開だけじゃなく、大衆の、裾野の広い、多様で大量のデータこそが重要で、それこそが新しい知の創造のあり方、すなわち「Wisdom of crowd」のためのキーであり、最も拡充すべき存在であると思っています。

もちろん、その多様なデータを生かすも殺すも応用次第なのですが、はてブのようなソーシャルブックマークが登場してきたことで大分明るい兆しが見えてきているようにも思いますし、応用は基本があってこそなので、コメント炎上云々は長い目で見つつ、如何に多様でオリジナルなデータを生むことができるかというところに注力すべきではないだろうかと思います。


今までずっと、「必然性」や「主従関係」は本当にWebにおける引用に必要なファクターなのだろうかと疑問だったのですが、今回の件を通していろいろ考えるに、Web時代の引用で最も重要なのは、いつ、だれがその部分を創作したか、そして、いつ、だれが、どこから抜粋したかということをはっきりさせて(リンクで辿りやすくするなどして)アクセス性を確保することであって、必然性やら主従関係だという部分はあまり重要ではないような気がしてきています。論を張るためなら必然性は必要でしょうけど、Wisdom of crowdsのためには、そういった縛りは特に不要なんじゃないでしょうか。


また、「引用」というコトバを使わず、「抜粋」とか「転載」でいいじゃないかという意見もあるでしょうけど、引用というコトバが持つ「正のフィードバックを生み出すもの」というイメージを大事にして、ああいうエントリーページのコメント欄のような部分にも意識的に「引用」という用語を使っていくことで、よいフィードバックループを回せないものだろうか。そんな風なことを考えています。


以上。そんな感じです。いかがでしょうか。

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結局、また長くなっちゃいました。いつものことですが。…スミマセン。

*1:ここでは、q, blockquote, citeの総称としてquoteと言っています